『マーダー・ア・ラ・モッド』~デ・パルマ監督初期のカルトなスリラー

原題:MURDER A LA MOD

1968年 80分 アメリカ/監督,脚本:ブライアン・デ・パルマ/出演:ウィリアム・フィンレイ

■映画製作の現場は覗きやサディズムなどの変質的な欲望を満たすにはうってつけだといっているようなスリラー。本作は実験的な要素が強く、ストーリーの辻褄(つじつま)もあえて合わせない作りです。映像表現や展開の遊びを最優先とするので商業的ではありませんが、カルトものとしては非常に魅力のある作品だと思います。感触は『ファントム・オブ・パラダイス』に似ていて、実際、映画の中盤からはウィリアム・フィンレイが主人公となるし、これが『ファンパラ』の下地になったんだろうなという印象があります。ちなみにテーマ曲の歌唱もフィンレイで、あのさえない声質とロック・サウンドのミスマッチ感が、ここでもいい味をだしていますよ。で、また、本作には監督の初期作品に使われているネタがたくさん出てくるので、ブライアン・デ・パルマTHE ORIGINとして観るならば、その愉しさは保証つきとなります。撮影していた時期は監督もまだ20代の中頃なので、全体的にエネルギーも高めです。

■本作は三つのエピソードで構成されていて、最初の二つは数分で終わる短いものです。エピソードどうしは一応つながっていますが、ストーリーとしての結びつきは、ほぼありません。まずエピソード1では、スクリーンテスト用フィルムの中の女性が、歪みのあるローアングルとコマを抜いた粗っぽい処理の映像の中で延々とジャンプをさせられていて、しだいに顔が疲れてくるんです。この様子がだんだんと、いたぶられているようにも見えてきます。そして、最後はいきなりカミソリで喉を切り裂かれて、その姿を殺人者がカメラでパシャリとやるんです……。で、次のエピソード2は、カメラの前で脱ぐことを促されている少女と撮影者との会話。この少女は脱ぐ決心がついていなくて、ときおりためらいの悲しげな表情を見せるんですよね。映像はずっとカメラ越しのままなので、少女にたいしての視線が無機質で冷酷なものとなっています。指示を出す撮影者の顔はいっさい現れず、よくわからないモゴモゴした言葉だけが聞こえてくるのも不安感を強めます。この場面のサディスティックな効果は『ブラック・ダリア』でも再利用されていて、カメラの前で苦痛の表情を浮かべる女優志願の娘が、なんとも気の毒な感じでした。

■で、ちょっと脱線させてもらいますが『ブラック・ダリア』って、製作費を出す人たちが大きな過ちをしでかしていると思うんですよね。あれは、死んだ女に恋をする男と、死んだ女とそっくりな女に恋をする男を描く物語でしょ。なので、デ・パルマが撮るとなると、やはりもっと『めまい』の影が見え隠れする映画でないといけないわけですよ。だから、エリザベス・ショートとマデリンは、キム・ノヴァクみたいに同じ女優が演じるのが当然だと思うんです、絶対。平均点は超えていますが嘘がヘタな映画だな、という感想です。まあ、でも、フィンレイがまたしても声の出ない、顔を潰された男を演じていて、そこにはちょっとした懐かしさがありましたけどね……。

■そしてエピソード3が、この映画の本編です。映画製作会社が入っている小さなビルの中で美女が顔にアイスピックを突き立てられて、無惨な姿に変わり果てます。いったい誰が殺ったのか、という筋立てで話は進みますが、でも、それは一応です。本作でのデ・パルマがいちばん見せたいものは、その場その場のパフォーマンスの面白みであって、映画をきっちりまとめようとはしていません。殺しの真相をたどる段階になるとフィンレイが主人公になって、それまではシリアスだった作風も大きく変化してスラップスティックな調子となるんです。そうやってスリラーというジャンル自体を不真面目にパロディ化しようとしているんですが、これがじつに軽々とした、力まない演出と演技で、上手くきまっているんですよね。最初から最後まで画も魅力的だし、デ・パルマ作品群の中では上位にきます。

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