『キャリー』(1976) ~ホラー仕立ての悲しい青春ドラマ

原題:CARRIE

1976年 98分 アメリカ/監督:ブライアン・デ・パルマ/原作:スティーヴン・キング/音楽:ピノ・ドナジオ/出演:シシー・スペイセク ナンシー・アレン エイミー・アーヴィング ウィリアム・カッツ ジョン・トラヴォルタ

□性愛を忌み嫌う母親と暮らすキャリー(シシー・スペイセク)はさえない高校生で、いつも仲間はずれだ。ある日、学校の更衣室で初潮を迎えておののき、クラスメートにしがみついて助けを乞うと、皆から馬鹿にされて嘲笑の袋叩きにあう。そのとき恐怖が大きく膨らんで図らずも念動力を発揮、頭上の蛍光灯を破裂させるのだった。いじめグループにいたスー(エイミー・アーヴィング)は反省して、自分のボーイフレンドとキャリーをプロムに行かせることにする。しかし、リーダー格のクリス(ナンシー・アレン)はその機会を利用し、キャリーを徹底的に打ちのめしてやろうと計画を練っていた。

※映画のラストにもふれております

■本作はごく一般的なティーンの感性に命中させることを狙った映画で、とても分かりやすい作り。“ちょっと変わった顔つきの女の子で、しかも、そばかすだらけ=バケモノ”とする図式は残酷ではありますが、日常ではときにある感覚でうなずけます。口には出さないけれども、心の中では思っていることといいますか。で、そうやって全員でさげすみ続けてきた人間からやり返されるという教訓的な怖さ。あるいは怒りを解き放って復讐を果たす興奮状態の心地よさ。作り手たちはそれらのものを童話に近い話法で描いているので、こちらに届きやすいんです。ピノ・ドナジオによる音楽もかなりいい出来で、その美しさがキャリーの青春の哀歌となって、胸に優しく切なく響きます。

■ヒネリとかはないんですが、でも、デ・パルマらしさがかなり濃く出た見応えのある作品です。この監督さん、女という生き物に生まれついたからには必ず悪しき部分を持っているので、これは罰されなくてはならないとする人で、本作においてもとくにキャリーにたいする仕打ちが、まあ本当に酷いんですわ。キャリーが冒頭で陥るパニックは、娘が子供から女性へと変わるのをよしとしない母親が月経なるものについて教えず隠し通してきたことから起こったんですが、彼女はそのうえさらに、初潮を迎えたことで激しく折檻されるんですよね。女性の体になったことを母親から責められ、クラスメートからは笑いものにされ、心に深い傷を負ってしまう気の毒すぎる状況です。んで、この冒頭のエピソードが、プロムでの大惨事のきっかけとなってしまうわけでしてね。クライマックス、ザバっと浴びせられるのが豚の血で、これが血だからいけなかったんです。クリスの目論見どおりキャリーは幸せの絶頂から一転、更衣室で恥をかいた日に引き戻されてしまったわけです。血をかぶらされたキャリーはその意味に気づくと初潮のときのみじめさをありありと思い出し、それがこれまでに受けてきたいじめの悲しみを何百倍にも膨れ上がらせ、彼女を飲み込んでしまったということなんだと思うんですよ。そこでトランス状態となり、念動力で皆殺しにしてしまえとなっちゃったんです。シンボル的にも豚というのは悪魔、不浄、無知などを象徴する場合がありますので、ここでキャリーが本物の怪物として覚醒してしまった図とみることもできそうです。

■ラストのオチは有名で、結局これはスーが見た夢ということなんですが、でも夢の中でもキャリーはかわいそうな扱いなんですよね。スーがキャリーを弔うために赴く場所ってキャリーの家があった更地で、お墓じゃないんですよ。敷きつめられた石ころの上に<売地>と書かかれた板きれが墓標みたいに十字に組まれ、しかもそこには罵りの落書きがある。つまり、キャリーは死んでからも母によって支配されていた場所に縛りつけられ、そして若者たちからは馬鹿にされ続けるんです。お墓という安息の場所も与えてもらえないので、これでは成仏なんてできやしません。この一連の描写はスーの罪悪感の裏返しなんでしょうけれど、ヒロインをここまで激しく打ちつける作風って、やっぱりデ・パルマならではだと思います。

シシー・スペイセク    ★★★★★

悲しい青春ドラマとして  ★★★★

ドナジオの優しいメロディ ★★★★★

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